二十二番札所 正覚寺 : 津軽三十三観音巡礼
- 2016/01/17
- 23:28
二十一番札所の袰月海雲洞釈迦堂から60kmほど南下します。
二十二番札所の正覚寺 (しょうがくじ) です。

青森市の中心部にあります。
この土地は昔、善知鳥 (うとう) 村と呼ばれていたようです。
なぜ善知鳥なのかは諸説あるようです。

由緒が消えて読みにくいので書き起こします。
旧寺町に立ち並ぶ四カ寺の中では、その創立が一番古い寺院である。
善知鳥村が青森村と改名され、ようやく街ができ始めた頃の寛永3年、
時の開港奉行森山弥七郎が民心安定のため寺院設置の必要を
津軽藩主信枚に願い出て建立されたという。
開山は、当時、弘前誓願寺末寺竜泉寺の住職であった龍呑上人である。
寺名は、はじめ覚正寺であったが藩祖津軽為信の菩提寺革秀寺と
まぎらわしいことから正覚寺と改められた。
本堂前の石灯籠一基は、宝暦十一年七代藩主津軽信寧が九代将軍
徳川家重の追善供養のため江戸の増上寺へ献納したもので、
戦後、当寺へ下付されたものである。
境内の菩薩堂も古くから津軽三十三観音霊場の二十二番札所として
広く信仰をあつめている。
なお、明治六年七月二十八日から開校された青森小学校の仮校舎は
当寺で、教育発祥の地である。
門をくぐると古そうな石仏が迎えてくれました。

左と中央は聖観音、右は如意輪観音のようです。

左は南無板東三十三所、中央は南無西国三十三所と彫られているようです。

浄土宗開祖、法然像です。
比叡山延暦寺へと旅立つ姿でしょうか。

目的の観音様は建物の中です。

矢印の案内に従って進みます。

二河白道 (にがびゃくどう) の庭です。

観無量寿仏経疏という書にある比喩を立体化したもののようです

西方浄土への行程を表しているようですが、難解です。

聖観音です。
念入りに参拝します。

素晴らしい庭園に癒されました。

ブログを見て頂いてる方の分身として用意した人形と共にお参りしました。
試験で実力を出せますように。
人形の名は エース・ハンター隊長 (仮) です。

【楽天市場】 津軽三十三観音巡礼ガイドブック

二十二番札所の正覚寺 (しょうがくじ) です。

青森市の中心部にあります。
この土地は昔、善知鳥 (うとう) 村と呼ばれていたようです。
なぜ善知鳥なのかは諸説あるようです。

由緒が消えて読みにくいので書き起こします。
旧寺町に立ち並ぶ四カ寺の中では、その創立が一番古い寺院である。
善知鳥村が青森村と改名され、ようやく街ができ始めた頃の寛永3年、
時の開港奉行森山弥七郎が民心安定のため寺院設置の必要を
津軽藩主信枚に願い出て建立されたという。
開山は、当時、弘前誓願寺末寺竜泉寺の住職であった龍呑上人である。
寺名は、はじめ覚正寺であったが藩祖津軽為信の菩提寺革秀寺と
まぎらわしいことから正覚寺と改められた。
本堂前の石灯籠一基は、宝暦十一年七代藩主津軽信寧が九代将軍
徳川家重の追善供養のため江戸の増上寺へ献納したもので、
戦後、当寺へ下付されたものである。
境内の菩薩堂も古くから津軽三十三観音霊場の二十二番札所として
広く信仰をあつめている。
なお、明治六年七月二十八日から開校された青森小学校の仮校舎は
当寺で、教育発祥の地である。
門をくぐると古そうな石仏が迎えてくれました。

左と中央は聖観音、右は如意輪観音のようです。

左は南無板東三十三所、中央は南無西国三十三所と彫られているようです。

浄土宗開祖、法然像です。
比叡山延暦寺へと旅立つ姿でしょうか。

目的の観音様は建物の中です。

矢印の案内に従って進みます。

二河白道 (にがびゃくどう) の庭です。

観無量寿仏経疏という書にある比喩を立体化したもののようです

西方浄土への行程を表しているようですが、難解です。

聖観音です。
念入りに参拝します。

素晴らしい庭園に癒されました。

ブログを見て頂いてる方の分身として用意した人形と共にお参りしました。
試験で実力を出せますように。
人形の名は エース・ハンター隊長 (仮) です。

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