2018年4月1日に新しく開館した、 高岡の森 弘前藩歴史館 です。
貴重な収蔵物が多数展示されている、歴史好きにはたまらない、良スポットです。

開館時間、休館日、入館料の情報です。
記事執筆日現在、公式サイトが存在しないため、公開されている情報はこれがすべてです。
※追記 高岡の森 弘前藩歴史館 公式ページはこちら です。

場所は、弘前藩第4代藩主津軽信政が眠る、高照神社の隣りです。
岩木山神社からの距離は、1.5キロメートルです。
弘南バスを利用する場合は、
弘前管内 岩木方面 枯木平線 です。
高岡経由のバスは、高岡停留所で下車、徒歩100メートル。
高岡を経由しないバスは、高照神社南口停留所で下車、徒歩600メートルです。
高岡経由のバスが通る高岡街道が、古くからの高照神社参道です。
高岡街道の様子は、当ブログ記事
松の街、弘前。 をご覧ください。
高照神社入口。
駐車場は、鳥居の奥に20台分ほどあります。

杉木立を抜けます。
雰囲気は良いのですが、訪れた時は恐ろしい量の杉花粉が、口の中が粉っぽく感じるほどに舞っていました。

開館初日は、入館料が無料だったようです。
混雑を避けるため、日にちをずらして訪れました。

入口にある県重宝
「津軽信政着用具足」 の複製に挨拶をし、中に進みます。

職員の方に確認すると、撮影は自由とのこと。
空いていたので、他の方に迷惑をかけず、じっくり撮影できそうです。
3月4日に行われた見学会 の時は空だったケースに、貴重な展示物が収められています。

いくつかご紹介します。

狩野派の絵師、新井寒竹常償 (あらいかんちくつねさと) によって描かれた、「津軽信政絵像」の複製です。

狩野派、賀田 (よした) の今井玉慶が、亡くなる前年 (1833年) に描いた「信政公葬図絵巻」です。
津軽信政が亡くなったのは1710年ですから、100年以上後に描かれたものです。
写真に写っているのはごく一部。 長さは10メートル以上あります。
横に設置してあるタブレット端末で全体を閲覧できました。

弘前城を描いたものとしては最も古い、正保2年 (1645年) の「津軽弘前城之絵図」の複製です。
国立公文書館 デジタルアーカイブ から高画質データがダウンロード出来ます。

アイヌとの戦いを説明している右の絵地図は、貞享2年 (1685年) に描かれた「陸奥国津軽郡之絵図」です。
これは正保2年 (1645年) に描かれた絵図を写したもので、歴史館入り口にも展示してあります。
同じ場所を描いた天保9年 (1835年) の絵図が、
国立公文書館 デジタルアーカイブ からダウンロード出来ます。
天保絵図には、津軽半島の先に2箇所、犾村 (えぞむら) の文字が読み取れます。
犾村はアイヌが居住していた場所です。
貞享のものには、夏泊半島とあわせて5箇所の犾村、狄村が記されているようです。

据え置かれたタブレット端末で閲覧出来る、「明治四年未七月士族在籍引越之際地図並官社学商現在図」です。
廃藩置県の際に作成した、住宅地図です。

現在も数軒の武家屋敷が残っている、若党町 (わかどうちょう) と亀甲門 (かめのこもん) 周辺。
武家屋敷は無料で見学可能 です。
馬喰町 (ばくろちょう) にある、まるめろ緑地の辺りには、神社と監獄があったようですね。
この画像データ、インターネットで公開配布して頂きたいです。
これを片手にしての街歩きは、おもしろそうです。

もっと古い時代に作成された住宅地図が、2018年3月16日から
ADEACデジタルアーカイブ で閲覧可能になりました。
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍 ページ内、史資料の通史編2引用資料にある、慶安2年 (1649年) の
「弘前古御絵図」 や、寛文13年 (1673年) の
「弘前中惣屋敷絵図」 等です。
また、前述した「陸奥国津軽郡之絵図」に近い年代の国絵図も、主要絵図のページで閲覧可能です。
慶安年中 (1648年~1652年) の
「御郡中絵図」 には、夏泊半島に犾村、狄村の書き込みがあります。
表記が異なりますが、同じ (えぞ) 村を表しているのでしょう。
それぞれ筆跡が違うので、複数の人物によって作成されたことがわかります。
ADEACデジタルアーカイブは、素晴らしいサービスです。
家にいながら、本県はもちろん、他県の貴重な資料も閲覧出来ます。
ローカル保存できればもっと利便性が高まりますが、閲覧のみのようです。
内容の更なる充実を望みます。
「津軽信政絵像」の新井寒竹常償の後継ぎ、新井家の二代目、新井朴也常寛によって描かれた、「仙人図屏風」です。

江戸後期から明治前期に作られた、津軽塗見本の手板、「津軽漆塗手板 (つがるうるしぬりていた) 」です。

独自の発展を遂げた津軽塗のルーツは、北陸の若狭塗です。

日本最古の養蚕書、「蚕飼養法記 (こがいようほうき) 」です。
弘前藩に仕えた、野本道玄 (1655年~1714年) によって著されました。
国立国会図書館デジタルコレクション で公開されており、ダウンロードも可能です。

2領の具足。

手前が「紺糸威五枚胴具足兜付 (こんいとおどしごまいどうぐそくかぶとつき) 」です。

胴の中央に、試し撃ちした弾の痕がありました。

こちらは「紺糸威甲冑」です。
2領とも複製ではなく、本物です。

具足、甲冑や兜をモチーフにしたデザインが、現在街中に紛れているようです。
採用しているのは、トヨタ自動車です。
「トヨタ、アルファード / ヴェルファイアはなんであんなに顔が恐いのか? 隠れモチーフは甲冑デザイン!?」 というニュース記事内で、開発者の方が明かしています。
今は廃止された車種、クレスタのエンブレムには、兜そのものが使われていました。
クレスタという名前は、スペイン語で兜飾りという意味のようです。
トヨタ クレスタのエンブレムです。

初代セルシオの隠れデザインモチーフは、運慶の仏像だったそうですが、トヨタはぶれることなく、和のデザインを大切にしていますね。
日本を代表する自動車メーカーとしての、プライドを感じるエピソードです。
次は武具を見ていきましょう。
弓と矢と矢を入れる容器、靫 (ゆぎ) です。

十文字槍です。
銘は「文殊包定作」。

薙刀です。
銘は「陸奥大掾橘盛宗」。

津軽信政所有の大小です。
銘は「武州江戸藤原清平 元禄六年六月日行年七十歳作」。

當田流 (とうだりゅう) の達人、一戸三之助宗明 (1681年~1753年) 愛用の太刀です。
銘は「武蔵國住人大和大掾藤原包則造之 寛文八年二月吉日」。

長さ88.3センチメートル、反り2.7センチメートル。
小柄だった一戸三之助は、刀を引き摺らないように、鞘の先に車輪をつけていたそうです。
當田流は、現在も学ぶことが可能です。
當田流剣術の連絡先はこちらです。YouTube に
演武動画 が公開されています。

馬印、卍の団扇です。
卍は津軽家の旗印で、関ヶ原の合戦の際にも掲げられました。
弘前市の市章にも採用されています。

卍といえば、「津軽信政着用具足」複製の飾り結び、総角 (あげまき) 結びです。
通常、鎧には使わない結び方がされています。

危険や災いが入って欲しくないところ、主に甲冑に使われるのが、人型総角結び。
お金や幸福が入って欲しいところ、神社や大相撲などで使われるのが、入型総角結びです。
単なる飾り結びではなく、まじないの意味が込められています。
3月4日に行われた見学会 の記事では、結び目で卍を作るために、あえて入型総角結びにしているのでは、と推測しました。
複製の結びが正しいのかどうか、本物はどうなっているのか、職員の方に聞きました。
わからない、とのことです。
調べて頂けるそうなので、気になる方は、現地でお尋ねください。
当ブログコメント欄に結果を教えて頂けると、ありがたいです。

ご紹介したのは、展示物のごく一部です。
充実した時間を過ごせました。
帰宅後、花粉症の影響で寝込んでしまいましたが、 高岡の森 弘前藩歴史館 、おすすめです。
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雑記追記素晴らしい施設でしたが、気になるところもありました。
関係者はおそらく見ないでしょうが、改善の期待を込め、感じた問題点を勝手に列挙します。
・ガラスで隔てられたケースの奥に、細かい字で書かれた説明プレートを置かれても読めない。
これはこの施設だけの問題ではなく、郷土文学館等でも感じたことです。
きれいに陳列されていても、説明が読めなければ論外です。
置き方を少し変えるだけで、改善出来ます。
客目線で見直して頂きたいです。
・説明プレートの説明が足りない。
説明プレートが置かれていますが、展示物の背景、魅力を有効に伝えているかは疑問です。
歴史を詳しく知っている人しか楽しめない展示では、もったいないです。
詳しい説明を印刷、ラミネートして近くにぶら下げる方法をとれば、大きなコストをかけずに改善出来ます。
この方法では、外国からのお客さん向けに翻訳文を置く事も可能です。
・展示物の見せ方。
例えば、「紺糸威五枚胴具足兜付」ですが、鉄砲試し撃ちの弾痕が隠れてしまっています。
見やすく展示した方が、より面白くなるはずです。
展示物の魅力を引き出してください。
・来館した記念になるものを販売して欲しい。
写真入りの展示目録も欲しい。 安価ならなお良し。
黒字は無理でも運営費の足しになるよう、客単価を上げる工夫が必要です。
建設に15億円もかかっていますから。
・現状ではリピーターを望めない。
今後の企画、イベントに期待します。
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