弘前公園の象徴である弘前城天守。
東北地方で唯一江戸時代から残っている本物の天守です。
石垣が老朽化により崩落する可能性が高いため今年2014年から10年間の予定で修理が始まりました。

1年がかりで天守を70m移動。
石垣全体を積み直すという大がかりなものです。

前回の補修は明治30年(1897年)から大正4年(1915年)までの18年間かかったそうです。
訪ねた時は工事の前段階、濠の水を抜いていました。

100年に1度のビッグイベント。
見ないわけにはいきません。

濠に水が無い光景はなかなか見る機会が無いので新鮮です。

石垣が膨らんでいるのが分かります。

反対方向から。

かなり歪んでいますね。

ふるさと納税で石垣修理への寄付ができるそうです。

何かの気配がすると思ったら…。

サギです。
監視されているような気配がします。

縄張り意識が強いため刺激しないように移動します。
弘前市のゆるキャラ、たか丸くんとの撮影スポットがありました。

天守を現地で見て小ささにがっかりされた方もいると思います。
実は現在の天守は2代目で初代は5層6階の大天守だったそうです。。
最初に建立された天守は1627年、築16年で鯱に雷が落ちたために焼失しました。

上層部から出火、4層目にあった釣り鐘が真っ赤に熱せられて地下の火薬庫に落下して引火大爆発。
8km離れた場所まで破片が飛び、20km先からも火柱が見えたそうです。

天守横、石垣上部の発掘調査跡です。

武家諸法度により新たに城を建てるのを禁じられていたため長い間天守が無い状態が続きます。
約200年後の1810年、櫓として幕府に申請してやっと建立に漕ぎ着けたそうです。
大きさは小さくても歴史が詰まっています。

濠を砂で埋め立てて重機の通路を作り作業するようです。
白いシートが砂の搬入口です。
大坂冬の陣の大坂城のような光景になるんでしょうか。

天守がある本丸から見た岩木山です。
弘前城の元の名前、高岡城と名付けられた理由が分かる眺めです。

帰り道もサギがパトロールしていました。
サギが縄張りを主張するのは同じ鳥類相手だけだと思っていたんですが…なぜか目を付けられたようです。

弘前城にはサギにまつわる伝説があります。
狩野法眼によって描かれた襖のサギが、夜な夜な飛び回って騒がしいので針でその目を潰したというものです。
同じ作者による古懸不動尊の絵馬、革秀寺の龍にも同様の伝説があるようです。

伝説のサギに襲われないよう、花の無い桜のトンネルをひっそりと帰りました。
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