青森市の縄文遺跡、三内丸山遺跡です。
公式サイト Official Site
場所はこちらです。
現在、三内丸山遺跡を含む「
北海道・北東北の縄文遺跡群 」は、世界遺産登録をめざしています。
当ブログでは、この活動を勝手に応援しています。
今までに記事で取り上げた縄文遺跡はこちらです。
・
青森県青森市:小牧野遺跡・
青森県弘前市:大森勝山遺跡・
秋田県鹿角市:大湯環状列石雨が降り出しそうな空ですが、無料駐車場は他県ナンバーで混雑していました。
縄文文化に対する関心の高まりを感じます。

遺跡への入口、「縄文時遊館」です。
今年度2018年度までは入場料が無料でしたが、来年度からは有料になるようです。
予定の入場料は、一般410円、高校・大学生200円、中学生以下は無料とのことです。

有料化にあわせて、展示収蔵スペースが増設されるようです。
楽しみです。

ボランティアガイドによる無料ツアーが用意されています。
こちらに参加します。

左が遺跡入口。

トンネルを抜けると遺跡です。

時を超えるトンネル。
わくわくします。

トンネルを抜けると、広い草原。

ボランティアガイドの方と一緒に出発です。

広大な三内丸山遺跡。
これから当記事でご紹介するのは、遺跡全体から見れば、ほんの一部です。
まず目につくのは、幅の広い道路。

これは、縄文集落があった当時、約5500年前から4000年前に存在した道路を再現したものです。

驚くべきことに、当時も同じ道幅だったようです。
道路の両脇沿いには、約500基の大人の墓が並んでいたそうです。
子供の墓については、後述します。

三内丸山の縄文集落が始まったのは、メソポタミア文明、エジプト文明の始まりと同時期です。
集落では、狩猟採集だけでなくクリやクルミの栽培も行われ、高床式の倉庫に食糧の貯蔵もしていたようです。
また、遠く離れた地と交流していた証拠となる遺物が発掘されています。

遺跡内にあるドーム状やトンネル状の白い建物は、発掘現場を保護公開するために建てられたものです。

南盛土。
集落のゴミ捨て場のひとつです。

発掘現場に入ります。

削られた土の壁から遺物が顔を出しています。

三内丸山遺跡では、竪穴住居の跡が550棟以上発掘されています。

復元された竪穴住居。
中に入れます。

中は真っ暗。
暗闇に目を慣らし、内部を見まわして居住性を想像しました。
雨水対策さえしっかりすればテントより快適かもしれません。

北盛土。
こちらもゴミ捨て場です。

壊れた土器のかけらが無数にあります。

子供の墓。

大人の墓は住居から離れた道路沿いにありましたが、子供の墓は住居の近くです。
なるべく自分の近くに置きたかったのでしょうか。
子供の墓は、800基以上発掘されているそうです。

子供の亡骸は、土器に入れて埋葬されています。
同じ場所で、亡骸の代わりに石を入れられた土器が発掘されています。
事故等で亡骸が見つからなかったので、せめて墓をという親心でしょうね。

次は三内丸山遺跡の象徴、大型掘立柱建物です。

縄文時代の建造物の多くは、約35センチメートルの単位長さで測量されているそうです。
この単位を縄文尺と呼ぶそうです。
掘立柱の間隔は4.2メートルですから、12縄文尺ということになります。

復元された大型掘立柱建物、高さは14.7メートルあるそうです。
42縄文尺です。

柱を根本から見上げると、とんでもない大きさです。
重機を使わずどうやって建てたのでしょうか。
高度な測量技術と建築技術、縄文人は凄いです。

復元された形は想像したもので、当時の構造がどうだったのかは不明のようです。
後ろの白いドームの中が掘立柱発掘現場です。

発掘現場へ。

人と比べると、とんでもない大きさです。
どんな用途があったんでしょうね。

とうとう、雨がこぼれ始めました。

「雨が降る」ことを、津軽では「雨がこぼれる」と表現します。
雨は空から降るものではなく、天からこぼれ落ちるもの。
詩的で美しい表現方法だと思います。
あわてて大型竪穴住居に避難します。

ここでボランティアガイドとお別れです。
わかりやすく、細かい心配りがなされた素晴らしいガイドでした。
訪れた際にはツアーへの参加をおすすめします。

縄文時遊館に戻り、三内丸山遺跡で発掘された遺物を見学します。

BGMは、
レキシ の名曲「 狩りから稲作へ (
公式ミュージックビデオ) 」でどうでしょうか。
縄文人の子供とペットの犬が、進む方向を教えてくれました。

修復された縄文土器の数々。

陶芸家ではなく、土芸家ですね。

3センチメートルほどのミニチュア土器。
試作模型なのか、子供のままごと用なのか。
何のために作られたんでしょう。

土と石のアクセサリー。

ヒスイのアクセサリー。
4000年以上前に、新潟県糸魚川周辺から運ばれてきたものです。
加工は三内丸山で行われたようです。

石鏃。

石鏃とは、矢尻です。

水晶で作られた矢尻。
特別な獲物を狙う時に使われたのでしょうか。

動物のツノで作られた釣り針。

動物の骨で作られた編み針。

暗い縦穴住居の中で細かい作業は難しかったのでは、と思います。

土偶。

奇怪なデザインです。
服の模様なのか入れ墨なのか。

顔が、楳図かずおさんの「
神の左手悪魔の右手 」の影亡者のようです。
楳図さんの新作漫画を23年間ほど待っているんですが、もう無理なんでしょうか。

さんまるミュージアムの出口です。
セリフをつけるなら「 オレはようやくのぼりはじめたばかりだからな このはてしなく遠い縄文坂をよ… 」ですね。

今回ご紹介したのは、三内丸山遺跡のほんの一部です。
じっくり見て回ると、半日はかかるでしょう。
時間に余裕をもって訪れることをおすすめします。
三内丸山遺跡、おすすめです。
【楽天市場】 毎日更新!タイムセール 時間限定でお得! 最安値に挑戦!
スポンサーサイト