鬼沢 (オニザワ) の鬼伝説
- 2015/02/03
- 19:18
鬼の伝説と信仰が残る、弘前市鬼沢地区です。

地名「 鬼沢 」の由来です。
昔、農民弥十郎がアソベの森 (岩木山) 赤倉沢のオオヒト (鬼) と山で出会い、相撲を取って遊んだ。
田が水不足だと聞いたオオヒトは、作業を覗かない約束で夜に紛れて堰を作り始める。
しかし弥十郎の妻が覗き見てしまったため、オオヒトは鍬と蓑笠を置いて姿を消す。
一夜で作られたその堰は、逆堰 (サカサセキ) 又は鬼神堰 (キシンセキ) と呼ばれた。
弥十郎は鍬と蓑笠を神社に祀り、潤ったその土地、長根派 (ナガネダチ) は鬼沢と呼ばれるようになった。
とっつぱれ。
鬼沢入口にある、看板の裏です。
名所の案内図になっています。

まずは、弥十郎と鬼が相撲を取ったという、「鬼の土俵」を目差します。
独狐から貝沢に抜けるバイパス、広域農道を通ると楽に行けます。
道路工事の際、この周辺で、たたら製鉄遺跡が発掘されています。
右の砂利道を上ります。

T字路を左に進むとすぐ目的地、「鬼の土俵」です。

「 おに 」は「 おぬ (隠) 」が変化したもので、目に見えない何かを表しているようです。
鳥居の向こう、開けている場所が土俵です。
夏でも草が伸びないと伝えられています。
勝つ気満々で行ったんですが、鬼は居ませんでした。

次は鬼神腰掛柏 (鬼沢のカシワ) へ向かいます。
唯一開けている、この場所に車を駐めました。

県道31号からヘアーサロンマスオ横の細い道を入った所です。
鳥居をくぐってリンゴ園の中を進みます。
岩木山の頭が覗いています。

この場所で、鬼と弥十郎は語り合ったのでしょうか。

幹周約3.6m。

樹高約11m。

複雑怪奇に枝が伸びています。

推定樹齢は700年だそうです。

沢山の支柱に支えられて生きています。

鬼の鍬と蓑笠が祀られている鬼神社 (きじんじゃ) です。

鬼沢地区では節分の豆まきをやりません。
豆まきのかけ声ですが、鬼が付く地名では「 鬼は内、福は内 」が多いようです。
京都府福知山市の大原神社では「 鬼は内、福は外 」。
埼玉県嵐山町の鬼鎮神社では鬼が「 福は内、鬼は内、悪魔外 」と言いながら参拝者に豆を投げつけます。
鬼鎮神社周辺では桃太郎の話をするのも厳禁だそうです。

毎年、旧正月に「 鬼沢のハダカ参り 」が行われています。
2015年は2月19日です。
参加もできるようです。
「 鬼 」の漢字に上部の「 ノ 」がありません。
ツノが無い「 鬼 」の異体字を鬼沢地区では神様の意味で使います。
鬼のツノは欲望の象徴とも云われてます。
仏に帰依した鬼はツノが取れて祀られるようです。
日本各地にある鬼子母神にも同じ字が使われています。
中国では宋王朝 (10~13世紀) までよく使われていたようです。
中国では「 鬼 」の字は死霊を指します。

「 鬼 」という漢字は上下2つの象形に分けられます。
上半分「 甶 (音読みフツ 環境によっては表示不可) 」は鬼本体、又は鬼の面を意味します。
下半分は人間です。
鬼に憑かれた、又は鬼の面を被った存在を表します。
ツノが無い「 鬼 」と同じように、「 ノ 」が省略された「 甶 (フツ) 」を使った字が他にもあります。
「 異 」。
下半分は立っている人間を意味し、常人とは異なっている様を表します。
「 畏 」。
下半分はムチを持った人間を表し、畏ろしい対象である事を意味します。

拝殿です。

鉄製の農具が奉納されています。

鬼沢に伝わる鬼の正体は何者でしょうか。
おそらく、霊山岩木山に住んでいた山伏、修験者だと思います。

修験道と共に、製鉄技術を津軽に持ち込んだのでしょう。
それらは秘匿された奥義、智慧だったと思われます。

鬼が居たとされる赤倉周辺では、10世紀頃の製鉄遺跡がいくつか発見されています。
赤がつく地名は鉄の産地を表しています。

岩木山に衆団登拝するお山参詣 (オヤマサンケイ) の登山囃子は山岳修験から来ています。
このお山参詣登山囃子、 空気公団 が独自の解釈で素晴らしい作品に仕上げています。

明治5年、修験禁止令が出され大勢の修験者が還俗しました。

還俗した山伏達は鬼である事を捨て、人間として地域に溶け込んでいったのではないでしょうか。


地名「 鬼沢 」の由来です。
昔、農民弥十郎がアソベの森 (岩木山) 赤倉沢のオオヒト (鬼) と山で出会い、相撲を取って遊んだ。
田が水不足だと聞いたオオヒトは、作業を覗かない約束で夜に紛れて堰を作り始める。
しかし弥十郎の妻が覗き見てしまったため、オオヒトは鍬と蓑笠を置いて姿を消す。
一夜で作られたその堰は、逆堰 (サカサセキ) 又は鬼神堰 (キシンセキ) と呼ばれた。
弥十郎は鍬と蓑笠を神社に祀り、潤ったその土地、長根派 (ナガネダチ) は鬼沢と呼ばれるようになった。
とっつぱれ。
鬼沢入口にある、看板の裏です。
名所の案内図になっています。

まずは、弥十郎と鬼が相撲を取ったという、「鬼の土俵」を目差します。
独狐から貝沢に抜けるバイパス、広域農道を通ると楽に行けます。
道路工事の際、この周辺で、たたら製鉄遺跡が発掘されています。
右の砂利道を上ります。

T字路を左に進むとすぐ目的地、「鬼の土俵」です。

「 おに 」は「 おぬ (隠) 」が変化したもので、目に見えない何かを表しているようです。
鳥居の向こう、開けている場所が土俵です。
夏でも草が伸びないと伝えられています。
勝つ気満々で行ったんですが、鬼は居ませんでした。

次は鬼神腰掛柏 (鬼沢のカシワ) へ向かいます。
唯一開けている、この場所に車を駐めました。

県道31号からヘアーサロンマスオ横の細い道を入った所です。
鳥居をくぐってリンゴ園の中を進みます。
岩木山の頭が覗いています。

この場所で、鬼と弥十郎は語り合ったのでしょうか。

幹周約3.6m。

樹高約11m。

複雑怪奇に枝が伸びています。

推定樹齢は700年だそうです。

沢山の支柱に支えられて生きています。

鬼の鍬と蓑笠が祀られている鬼神社 (きじんじゃ) です。

鬼沢地区では節分の豆まきをやりません。
豆まきのかけ声ですが、鬼が付く地名では「 鬼は内、福は内 」が多いようです。
京都府福知山市の大原神社では「 鬼は内、福は外 」。
埼玉県嵐山町の鬼鎮神社では鬼が「 福は内、鬼は内、悪魔外 」と言いながら参拝者に豆を投げつけます。
鬼鎮神社周辺では桃太郎の話をするのも厳禁だそうです。

毎年、旧正月に「 鬼沢のハダカ参り 」が行われています。
2015年は2月19日です。
参加もできるようです。
「 鬼 」の漢字に上部の「 ノ 」がありません。
ツノが無い「 鬼 」の異体字を鬼沢地区では神様の意味で使います。
鬼のツノは欲望の象徴とも云われてます。
仏に帰依した鬼はツノが取れて祀られるようです。
日本各地にある鬼子母神にも同じ字が使われています。
中国では宋王朝 (10~13世紀) までよく使われていたようです。
中国では「 鬼 」の字は死霊を指します。

「 鬼 」という漢字は上下2つの象形に分けられます。
上半分「 甶 (音読みフツ 環境によっては表示不可) 」は鬼本体、又は鬼の面を意味します。
下半分は人間です。
鬼に憑かれた、又は鬼の面を被った存在を表します。
ツノが無い「 鬼 」と同じように、「 ノ 」が省略された「 甶 (フツ) 」を使った字が他にもあります。
「 異 」。
下半分は立っている人間を意味し、常人とは異なっている様を表します。
「 畏 」。
下半分はムチを持った人間を表し、畏ろしい対象である事を意味します。

拝殿です。

鉄製の農具が奉納されています。

鬼沢に伝わる鬼の正体は何者でしょうか。
おそらく、霊山岩木山に住んでいた山伏、修験者だと思います。

修験道と共に、製鉄技術を津軽に持ち込んだのでしょう。
それらは秘匿された奥義、智慧だったと思われます。

鬼が居たとされる赤倉周辺では、10世紀頃の製鉄遺跡がいくつか発見されています。
赤がつく地名は鉄の産地を表しています。

岩木山に衆団登拝するお山参詣 (オヤマサンケイ) の登山囃子は山岳修験から来ています。
このお山参詣登山囃子、 空気公団 が独自の解釈で素晴らしい作品に仕上げています。

明治5年、修験禁止令が出され大勢の修験者が還俗しました。

還俗した山伏達は鬼である事を捨て、人間として地域に溶け込んでいったのではないでしょうか。

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