コメント
これは初めて知りました。ビックリです。
あまりにも、近所すぎて…。
こんばんは、ワシミミズクさん。
今回の記事は我が家の近所の笹森山なので、ちょっとびっくりしてます。私の年齢では笹森山の思い出や記憶はないです。ですが、亡き父が電気工事の仕事をしており、外灯修理で回る時の電柱に「笹森山幹線36(番号はそれぞれ違います)」と今でも印されてます。山は無くなりましたが、その辺り一帯が山だったことを証明してくれます。
ラーメン「山忠」あたりもそうです。
ラーメンのお話になりますが、ラーメン「くろ田」は以前、ラーメン「たか木」がリニューアルしたお店です。店主さん同じ方なので。味の方は……、好みの問題もありますし、私は「山忠」の醤油ラーメンのほうが好きです。
なんかどうでもいいことをダラダラ書いてしまってすみません。
数年前に「くずはら漬け物」工場近くから岩木山を見た事があります。笹森山を登った?最後の記憶になります。
今回の記事は我が家の近所の笹森山なので、ちょっとびっくりしてます。私の年齢では笹森山の思い出や記憶はないです。ですが、亡き父が電気工事の仕事をしており、外灯修理で回る時の電柱に「笹森山幹線36(番号はそれぞれ違います)」と今でも印されてます。山は無くなりましたが、その辺り一帯が山だったことを証明してくれます。
ラーメン「山忠」あたりもそうです。
ラーメンのお話になりますが、ラーメン「くろ田」は以前、ラーメン「たか木」がリニューアルしたお店です。店主さん同じ方なので。味の方は……、好みの問題もありますし、私は「山忠」の醤油ラーメンのほうが好きです。
なんかどうでもいいことをダラダラ書いてしまってすみません。
数年前に「くずはら漬け物」工場近くから岩木山を見た事があります。笹森山を登った?最後の記憶になります。
Re: SARUKO さま
笹森山は、あまりにも身近過ぎる山だったせいなのか、調べてもほとんど情報がありませんでした。
あるのが当たり前すぎて、その価値に誰も気づかなかったのでしょう。
ありふれている退屈なものやつまらなかったものが実は、かけがえのないものだった、といういつものパターンです。
たまには視点を変えて、身の回りの事象を再評価してみたら、面白い発見があるかも知れませんね。
くずはら商店さん、実は今回の取材中に道を間違って迷い込みました。
思いも寄らない場所に出会えるので、間違えるのもたまには良いですね。
ラーメンは好みが完全に分かれますから、むつかしいですね。
山忠関連では、弘前市和徳から田舎館村前田屋敷に移転した、やまやさんが大好きです。
弘前時代は、看板が無い不定休の幻の店でした。
メニューは醤油ラーメン1種類のみ。
営業中の合図は、紺色無地ののれんだけ。
厨房に処方薬の袋を置いて、命がけで営業されていました。
味は全く違いますが、紺屋町にかつてあった、屋台屋を彷彿とさせました。
屋台屋のメニューは、味が1種類、中華そばとワンタン麺だけ。
すべて自家製で60食限定。
石山勇人氏のラーメン本の紹介によると、鰹節を蒸してから削ったスープが売りと書かれていますが、私の印象では、昆布の風味が強かった気がします。
10時半オープンなのに9時から行列が出来て、11時には売り切れになる店でした。
店主さんがお亡くなりになり、後継者がいなかったため閉店しています。
やまやさんは、お孫さんが後を継いで営業しています。
2年ほど前に行ってみたら味もそのままでした。
あの味は、至宝です。
あるのが当たり前すぎて、その価値に誰も気づかなかったのでしょう。
ありふれている退屈なものやつまらなかったものが実は、かけがえのないものだった、といういつものパターンです。
たまには視点を変えて、身の回りの事象を再評価してみたら、面白い発見があるかも知れませんね。
くずはら商店さん、実は今回の取材中に道を間違って迷い込みました。
思いも寄らない場所に出会えるので、間違えるのもたまには良いですね。
ラーメンは好みが完全に分かれますから、むつかしいですね。
山忠関連では、弘前市和徳から田舎館村前田屋敷に移転した、やまやさんが大好きです。
弘前時代は、看板が無い不定休の幻の店でした。
メニューは醤油ラーメン1種類のみ。
営業中の合図は、紺色無地ののれんだけ。
厨房に処方薬の袋を置いて、命がけで営業されていました。
味は全く違いますが、紺屋町にかつてあった、屋台屋を彷彿とさせました。
屋台屋のメニューは、味が1種類、中華そばとワンタン麺だけ。
すべて自家製で60食限定。
石山勇人氏のラーメン本の紹介によると、鰹節を蒸してから削ったスープが売りと書かれていますが、私の印象では、昆布の風味が強かった気がします。
10時半オープンなのに9時から行列が出来て、11時には売り切れになる店でした。
店主さんがお亡くなりになり、後継者がいなかったため閉店しています。
やまやさんは、お孫さんが後を継いで営業しています。
2年ほど前に行ってみたら味もそのままでした。
あの味は、至宝です。
笹森山の山頂に行ってきました
はじめまして。57歳の男性です。
笹森山は私が小1の頃には、まだたくさんの子どもたちがスキーやソリで滑っていました。
昔は家が少なかったから、私の家から笹森山の斜面が見えたのですよ。
まだ土がそんなに削られておらず、滑ることができたんです。
近所の上級生に連れられて私もスキーやソリで滑りました。
私が小学校高学年になる頃には、かなり土が削られて、滑走できる部分はせまくなりました。
それでも、雪の上にスキーの跡があったので、誰か滑ってたんでしょうね。
私が小5の時だと思うんですが、
笹森山に行っても、雪の上にスキーの跡も足跡もなく、誰もいない笹森山の、すっかりせまくなった斜面を、私1人がソリで滑って遊びました。
滑走できる部分はますますせまくなってて、スキーでは崖から落ちる心配がありました。
それが笹森山で滑った最後の思い出でした。
もしかしたら私は、笹森山でソリで滑って遊んだ最後の子どもなのかもしれません(笑)。
URLは、私のブログの記事です。
笹森山の山頂に行きました。
よかったらご覧くださいね。
笹森山は私が小1の頃には、まだたくさんの子どもたちがスキーやソリで滑っていました。
昔は家が少なかったから、私の家から笹森山の斜面が見えたのですよ。
まだ土がそんなに削られておらず、滑ることができたんです。
近所の上級生に連れられて私もスキーやソリで滑りました。
私が小学校高学年になる頃には、かなり土が削られて、滑走できる部分はせまくなりました。
それでも、雪の上にスキーの跡があったので、誰か滑ってたんでしょうね。
私が小5の時だと思うんですが、
笹森山に行っても、雪の上にスキーの跡も足跡もなく、誰もいない笹森山の、すっかりせまくなった斜面を、私1人がソリで滑って遊びました。
滑走できる部分はますますせまくなってて、スキーでは崖から落ちる心配がありました。
それが笹森山で滑った最後の思い出でした。
もしかしたら私は、笹森山でソリで滑って遊んだ最後の子どもなのかもしれません(笑)。
URLは、私のブログの記事です。
笹森山の山頂に行きました。
よかったらご覧くださいね。
Re: ぽんた さま
コメントありがとうございます。
ブログ、拝見しました。
1975年ごろにはもうほとんどスキーが出来ない状態だったのですね。
貴重なお話、ありがとうございます。
ブログ、拝見しました。
1975年ごろにはもうほとんどスキーが出来ない状態だったのですね。
貴重なお話、ありがとうございます。