大然集落跡
- 2022/03/22
- 01:30
大東亜戦争末期の昭和20年 (1945年) 3月22日、雪で堰き止められた川が氾濫、一夜にして消滅したマタギの集落、大然 (おおじかり) の痕跡を巡ります。

かつて大然があったのは、この辺りです。
大然の地名の由来は、大鹿からきているという説があるようです。
マタギの頭領はシカリと呼ばれたそうです。
こちらの語源は不明ですが、 (山の理を知る) 然り、又は (未熟な若者を叱る) 叱りでしょうか。
大然の地名は、マタギの頭領シカリからきているのかも知れませんね。
9月下旬。
隠れ里のような山間部の集落、細ヶ平 (ほそがだいら) を経由して、赤石川まで来ました。
この赤石川の上流に、かつて大然というマタギの集落があったそうです。

魚体が金色に染まったアユ、金アユで有名な赤石川。
橋の影で釣り人が息を潜めていました。
☞ 鯵ヶ沢町観光ポータルサイト 赤石川の金のアユ

津軽藩 (弘前藩) 発祥の地と云われている、種里城跡です。
後に津軽氏を名乗ることになる、大浦氏発祥の地です。
弘前の禅林街にある長勝寺は、この地で創建されました。
ここ種里城にも、大浦城、弘前城と同様に、鬼門守護のため北東の方角に八幡宮が配置されています。

地図で確認すると、種里城、大浦城 (現津軽中学校) 、弘前城、堀越城、津軽氏関連の城は、岩木山を挟んでなぜか東西方向ほぼ直線上に並んでいます。
ただの偶然かも知れませんが、岩木山信仰や西方浄土等、様々な想像が膨らみます。

これから向かう大然の痕跡は、こちらの案内板にも記されていました。

案内板の裏、白神赤石道中絵図です。

今回向かうのは、「大然部落遭難者追悼碑」、「佐内沢の岩山」、「大然マタギ碑」、「ハロー白神」、「一ツ森マタギ碑」です。

先ほどまで居た、細ヶ平の棚田も載っていました。
☞ 当ブログ記事 細ヶ平棚田 2021

「一ツ森マタギ碑」が見えてきました。

久須志神社社標、こちらが「一ツ森マタギ碑」です。

赤石マタギの大谷石之丞氏が、昭和36年に奉納したものです。
奉納した時点で43頭の熊を仕留めたと刻まれています。
☞ NPO白神自然学校一ツ森校 「赤石またぎ」の大谷石之丞さんについて

神社に向かおうとしましたが、犬がけたたましく吠えていたので諦めました。

近くに、大然バス停がありました。
現在、集落があるのはこのバス停付近までですが、さらに上流に佐内と大然の集落があったそうです。

時刻表です。

バス停があるのは、大然集会所の前です。
かつての集落は無くなってしまいましたが、大然の名前は残されています。

大然集落があった場所は、ここから2km上流、ハロー白神の辺りです。
先に進みます。

橋があります。

佐内沢に架かる、

佐内沢橋です。

佐内沢橋の上流側に慰霊碑があります。

「大然部落遭難者追悼碑」です。

案内です。
雪で堰き止められた川が氾濫、10メートル近くの高さの濁流が集落を飲み込み、すべてを奪い去りました。
死者87名、生存者16名。
想像を絶する大災害です。

災害前、平穏な村の写真。

災害後の写真、雪と泥と瓦礫。
すべてが一瞬にして失われてしまった、残酷な記録です。

私がこの災害を知ったのは、工藤隆雄氏のマタギ奇談という本からです。
吉村昭氏の羆嵐と同じくらい恐ろしい内容でした。
ご一読をおすすめします。
☞ 【Amazon】 工藤隆雄 [マタギ奇談]
弘法大師修行像と、馬頭観音でしょうか。

着飾った地蔵です。

遭難者追悼碑です。

遭難者追悼碑の背面です。
昭和二十年三月二十二日
夜来の豪雨により流雪谿谷に充塞河水氾濫し屋舎氷雪に埋まり大然部落二十有戸盡く其影を失ふ
夜半のこととて死者八十七名生存者僅かに十六名のみ
實に希有の惨事たり
爾来七星霜大方の同情と復員者の苦闘により漸く復興の緒を見るに至る
茲に浄資を集め遭難者追悼の碑を建て以て厥の冥福を祈らんとすと爾云
昭和二十六年十一月
赤石村有志代表
赤石村長 正七位 兼平清衛 識

佐内沢橋の下流側、「佐内沢の岩山」です。

大きな岩の上に、木が生い茂っています。

岩の裏側です。

案内です。
大然の家屋群は、この辺りに流れ着いたようです。

岩肌に名前が刻み込まれています。

こちらにも。

岩山の裏に、河原に続く道がありました。

赤石川の流れは、嘘のように穏やかです。

赤石川上流、アユ養殖場を通り過ぎます。

この辺りが、大然集落があった場所です。
今はその痕跡もありません。

赤石マタギの歴史等が展示されている、「ハロー白神」です。

訪れた時は、臨時休館中でした。
☞ 鯵ヶ沢町観光ポータルサイト 自然観察館ハロー白神

ハロー白神の真向かいに鳥居があります。

大山祇 (おおやまづみ) 神社です。
オオヤマツミ、大いなる山の神を祀る神社です。

こちらの大山祇神社社標が、「大然マタギ碑」です。

大然集落生存者の16名は、こちらの神社に避難して助かったそうです。

大正3年から4年にかけて大熊6頭を仕留めた記念、と刻まれています。

赤石マタギの神社。
ぜひとも参拝しなくてはなりません。

参道は、恐ろしいほどの急斜面です。
さすがはマタギです。

大山祇神社拝殿です。

参拝しました。

マタギの儀式は、山の神のご機嫌を取るものが多いようです。
山の神は、醜い姿をした女性だそうです。
山の神が嫉妬するので、マタギになれるのは男だけです。
赤石マタギは、この神社で山の神のご機嫌を伺ってから山に入ったのでしょう。

酉偏に鬼、醜という字は興味深いです。
醜、現在は美しくないという意味ですが、本来の意味は強く恐ろしく頑丈なことを表すようです。
頑なで強いだけの存在は美しくない。
真理ですね。
私も、できるだけ柔らかく生きようと心がけます。
赤石川の向こう、然ヶ岳が見えました。

赤石川は、どこまでも静かに流れていました。

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