妙堂崎の狐山
- 2023/02/20
- 00:07
鶴田町にある、稲荷神社です。

場所はこちらです。
「陸奥の伝説」という本に、次の項があります。
不可思議な由来を持つこの狐山、現在も存在するのでしょうか。成長する山
北津軽郡鶴田町妙堂崎にある狐山は、俗にオガリ山という。
オガルというのは、津軽のことばで成長するとか、大きくなることの意味である。
むかし、この山は大きなうなるような声を出したかと思うと、一夜のうちにいまの大きさに高くなっていた。
それからオガリ山と呼ぶようになったという。
森山泰太郎 編著 「陸奥の伝説」より
どの地図を見ても、妙堂崎周辺に狐山またはオガリ山という文字は載っていません。
インターネットで調べると、大抵の場所は誰かが訪れて記事にしているものですが、狐山に関しては、その手の情報も皆無のようです。
狐に憑かれたかのように調べていると、鶴田町の広報誌「広報つるた」2016年3月号に、場所のヒントが書かれている箇所を見つけました。
☞ 鶴田町公式サイト 「広報つるた」 2016年
大まかな場所はわかりました。鶴の里懇話会
町の文化遺産について
Q (1) 妙堂崎大開溜池について
妙堂崎大開溜池には古代からの自生植物ヒツジグサ、フトイ、ウキヤガラや水生虫等が見られます。
町誌に書かれてある伝説の狐山 (オガリ山) が隣接してあります。
後略
あとは現地に行って探すしかありません。
2022年11月中旬、鶴田町に向かいました。
こちらは弘前市内、県道35号線から見た、岩木山と白鳥です。

鶴田町に着きました。
廻堰大溜池 (まわりぜきおおためいけ) 、通称津軽富士見湖です。
右奥に見える橋は、鶴の舞橋です。
☞ 鶴田町観光ウェブマガジン メデタイ・ツルタ 「鶴の舞橋」

妙堂崎にある、大開溜池、到着です。

雁の群れが飛んでいました。

狐山は、どこにあるのでしょうか。
左 (南) にある山は、高山 (たかやま) という名前のようです。
標高36mの小さな山ですが、町営のスキー場があったそうです。
その富士見スキー場は、2021年度いっぱいで閉業してしまったようです。

北側のあの丘でしょうか。
溜池沿いに道があります。
行ってみましょう。

きれいな林が続いています。

東屋がありました。

左にもみじの通路があります。

奥に建物があるようです。

紅葉の中を進みます。

行く手を阻むように、折れた枝が邪魔をしていました。
その程度の障害では、わたしの好奇心を止めることはできませんよ。

カギが掛けられていました。
中も見えません。
紙垂 (しで) が飾られているので、神社の倉庫なのでしょうが、辺りに拝殿は無いようです。

藪を漕いで、東屋に向かいます。

奇妙なものがあります。

お城の模型でしょうか。
高さは130cmくらいあるようです。

こちらの扉もカギが掛けられていました。

手がかりは何も見つかりません。

途方に暮れていると、道のゴミ拾いをされている方が通りかかりました。
尋ねると、「狐山とかオガリ山という名前は知らないが、近くの山の上に稲荷神社ならある」とのこと。
おそらく、それが狐山でしょう。

案内をしてくださるそうです。
まさに渡りに舟、出会いに感謝です。
それにしても、落ちているゴミが多過ぎではないでしょうか。
ゴミをポイ捨てすると、やがて自分の首を絞めることになると気づいて欲しいです。
鶴田町はこんな所なんだと思われてしまいますよ。

案内をしてくださる方のお名前は、カワゾエさんです。
ここから稲荷神社に向かう道は、カワゾエさんの散歩コースなんだそうです。
東屋の横を登っていくようです。

獣道、、ですね。

地元の方もあまり通らないそうです。

カワゾエさんが狐だったらどうしよう、と思ってしまいました。
狸に化かされても大したことにはならないが、狐に化かされると命を落とすことがある、という昔なにかで読んだ一説を思い出しました。

野生の狐と遭遇したことはおありでしょうか。
わたしは、狐に尾行されたことがあります。
山の中の廃道をひとりで歩いていると、30mほどの距離を保ち後をつけて来る気配を感じました。
素早く後ろを振り返ると、慌てて藪に身を隠そうとする狐の姿。
狐は、狩りがあまり上手くないのかも知れません。
何回かその「だるまさんが転んだ」を繰り返すと、諦めたのか、食べても不味そうだと思ったのか、いつの間にか姿を消しました。
あの時に化かしてくれたら、もっと面白い話を披露できたでしょうに、残念です。
狐に化かされた時は、眉に唾をつけると術が解けるそうです。
機会が巡ってきたら、お試しください。
建物です。

おそらく狐山であろう、稲荷神社に到着です。
カワゾエさん、疑ってすみませんでした。
端から見たら、怪しいのはわたしの方ですね。

神社の横には、車が通れる砂利道がありました。
後でそちらのルートもご紹介します。
昭和22年に寄進された、社標です。

こちらの鳥居は、平成7年です。

辿り着けたことに感謝し、参拝しました。

拝殿向かって右にある、2つの祠です。

祠の中には、御霊返しされた白狐たちが安置されています。

左の祠も同じですが、こちらは傾いて倒れてしまっています。

拝殿向かって左にある、お堂です。

無数の白狐たちが居ます。

神棚や奉納された絵もあります。

こちらの神棚には、昭和30年 (1955年) まで存在した、北津軽郡六郷村の住所が書かれていました。

カワゾエさんいわく、「土地の古老によると、この稲荷神社は高山稲荷神社よりも位が高い神社だった」そうです。
これだけの数が勧請されていた事実を見ると、あながち間違いではないのかも知れません。
後ろ向きに置かれた白狐が多いですね。
ひょっとして、むやみに目を合わせてはいけないのでしょうか。

なぜこれほど多数の稲荷勧請が行われ、屋敷神として祀られるようになったのでしょうか。
吉田家と白川家による、神道界の勢力争いが要因となっているようです。
下記リンク先の論文は、わかりやすく興味深い内容です。
ご一読をおすすめします。
☞ 天理大学 学術情報リポジトリ 芝﨑大樹 著 「白川家の稲荷勧請」
カワゾエさんにお礼を告げて別れました。
あなたと出会わなければ、この記事は存在していません。
ありがとうございます。
車で稲荷神社に向かいます。

国土地理院の地理院地図に載っている、この神社が狐山です。
りんご園の中を通り、ここを左折します。

鳥居があります。

ここが本来の参道入り口なのでしょう。
最近人が歩いた痕跡はありませんでした。

落ち葉に覆われた砂利道を進みます。

中央に見える建物が、稲荷神社です。
砂利道をさらに直進すると、りんご園があるようです。

伝説に彩られながらも、寂れゆく狐山。

白狐が、「われらのことを、ゆめゆめ忘れるでないぞ」と、怪しく微笑んでいるようでした。

念のため、眉に唾をつけて帰ります。
帰り道から望む岩木山は、何かに怯えるように、雲に身を隠していました。

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